社会不安障害の要因

 以下、私が社会不安障害(SAD)になった要因に関する考えを記載する。これは完全なる自己満足に近しいが、SADの方が他人におけるSADのルーツを知ることや、単なるSADを知るための読み物としては機能するかもしれない。

 


 高校3年生から卒業間近の頃まで、私はSADになった要因は、かなり月並みではあるが、児童期の家庭環境にあると考え、親を憎悪していた。また、親にわたしの人生を台無しにされてしまったと思っていた。

 高校卒業後しばらく経ってからは、私がSADになったのは誰の責任でもないと考えるようになった。多分、自分のありさまを単に親のせいにし続けることに疲れたか、飽きたのだと思う。他人を憎み続けることや、何かを他人のせいにして自分の行動を停止し続けることは、ひどく体力を損なう。加えて、それ以外に、親を憎まない方法が思いつかなかった。

 ちなみに、私がSADになったのは誰のせいでもないという考え方でいられる根拠は、以下の屁理屈に基づく。
 偶発的に起こった物事の結果、私がSADになったことを、何かのせいであると証明することは実質不可能だ。それは、仮に私が家庭環境のせいでSADになっていたとしても、それを証明する拠り所がないからだ。私の生育環境を証明する拠り所は、私の不確かな小児期の記憶や、両親の証言しかない。仮に写真や日記を見ても、憶測止まりとなる。
 さらに、家庭環境とは世間を徹底的に排除した閉鎖空間、かつ生活の基盤となる組織だから、そこで仮にひどい出来事があったとしても、家族の一員が家族から疎外されることなく、誰の目にもわかるように整理することはとても難しい。
だとすれば、私がSADになった理由を見つけることなどできない。そもそも、親を憎むのは楽ではあるが、親がSADの真因かどうかはまた別の問題だ。

 だが最近、上記の考え方は、体のいい思考停止かもしれないと思うようになった。恐らく、自分がその考え方でいることに飽きたのだと思う。
加えて、私はSADであることを判断軸にして、人生の大半を決めてきた。自分の軸となる考え方を形作るルーツを知れば、私は自分を浪費しなくても済む。

 よって、今後はSADになった原因を明らかにしようと思う。今は以前よりも、物事をより正しく捉えられるはずだ。SADの原因についての記事は、本コラムに随時追記する。

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tsukimi03

最近ピンク色のオーラをまとい、ハッピーライフを満喫している。 一部のメンバーに「爆発しろ!」とか言われているが、むしろたまに突然爆弾を投げ込んでくる要注意人物である。 しばしば虫への愛が爆発しすぎる時がある。

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