パニック障害罹患記3
茨城という土地は電車がなくても生活できる。
私も自分の車を持っていたため、電車を利用しなくても外に出ることが出来た。
しかし、発作の恐怖からか外へ出ることも億劫となり、部屋にこもる日々が続いた。仕事をし、家に帰る。仕事をし、家に帰る。その繰り返しだ。
「電車に乗れていた時はもっとアクティブだったのに」…パニック障害になった自分を責めた。
しかし、「自分を責めても変わらない!」と思った。この切り替えの早さは自分で自分を褒めてやりたい。
パニック障害の改善にいいと言われてることは全てやった。ノニジュース(しょっぱくない醤油のような味だった)、セロトニンサプリの摂取。
家で心理学の講座を受け、徹底的にパニック障害の原因を突き詰め、それを排除する方向で行動した。
パニック障害を治すための行動には当然お金がかかった。でも「また電車に乗りたい」という気持ちが私を駆り立てた。
調べていくうちに私のパニック障害の原因は『嘔吐恐怖症』にあると判明した。パニック障害も嘔吐恐怖症も社会不安障害の一種であったが、昔からあった嘔吐恐怖症がパニック障害と繋がっているとは思いもしなかった。
(嘔吐恐怖症の原因については後ほど記述します)
「吐くかもしれない」、そしてその場から逃げられない恐怖がパニック障害を引き起こしていたのだ。
しかし原因は分かってもなかなか電車に近づくことは出来なかったのである。『恐怖』の原因が分かっても『恐怖』はなくならなかった。
外に出るのが怖くなる…これはパニック障害の二次障害と言えるだろう。実際、パニック障害罹患者の半数以上がうつも発症する。
それでもひとりを楽しむことが出来ていた。誰かに迷惑をかけるくらいならひとりでいたかった。そしてその時間は苦にならなかった。